ハインリッヒの法則

今日はいつもと違い変わった話題を取り上げます。

表題の「ハインリッヒの法則」とは、

1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。

労働災害が発生した際にはよくこの法則が使われています。



これを人間関係に置き換えてみると、300の違和感と29の些細な争い、1つの大きな喧嘩や争いとなります。

300の違和感とは、「この人は何を言っているのだろう」「この人は何を考えているのだろう」「なんでこのような事を言うのだろう」という、日頃からの人付き合いの中での素朴な疑問や思いがあるという事です。

そのうち、心にゆとりがなかったり、夫婦喧嘩をしたり、虫の居所が悪かったりした時にこのような事を思うと、その思いが強くなり小さな爆発が起きて、些細な口論になってしまうかもしれません。


最後の延長上に、恨み辛みのある喧嘩や争い、最悪の場合は裁判沙汰にまでなる可能性もあります。


人間関係でハインリッヒの法則を使うのは違和感があるかもしれませんが、ものの例えとしてこの法則を用いていました。


些細な事かもしれませんが、特に「物の言い方」については争いを招く種になりがちです。
自分が正しいと思っていてそれを相手に伝えるにしても、その手段や方法、物の言い方を気をつけないとその正しさが正確に伝える事も出来ず、返って恨みを買ってしまう事になりがちです。

特に相手の事を思ってやった行為でも、全く同じような事になるかもしれません。


人間関係を円滑にするには、日頃からの気遣いや思いやりが重要だとつくづく感じます。

このような事は、大和民族である日本人が本来得意としている分野でありますが、近年では大和心が失われつつあり、気遣いや思いやりが抜けがちであります。



さて、最近は今まで隠蔽されていた様々な事が明るみに出ています。
これから更に様々な分野で明るみに出て来ると予想しています。

人はこれを見て、何を信用しどうしたら良いのかを真剣に考え行動する時が来ると予測します。

日本人は「食べ物の恨みは恐ろしい」という言葉の通り、諸外国から何をされても食べ物の事で様々な事の被害を受けるとその怒りや報復措置は尋常ではありません。

これは日本人が大切にしている「信用や信頼」という心から信じているものについて、裏切ったり傷をつけてしまうからです。

そうなってからではもう手遅れとなります。


長年築き上げてきた信用や信頼は壊してしまうのは一瞬であります。しかしそれを取り戻すにはそれ相応の努力をし続けなければなりません。

日本人や日本の企業は、いつから目先の利益のみを追い求めるようになったのでしょうか。
利益があるのは世の中の為に役立だつ「利」があるのでその結果として「益」がついてくる事を忘れてはなりません。


私達の心の「ひやり」「はっと」を無くす事で、これらの事を防ぐ事は可能であると思います。

掃除

今回の記事は掃除です。

日本では小学生から高校を卒業するまで掃除をやってきています。

その中で何を得る事が出来るかというお話です。


最近、海外に在住する人達から日本の町はゴミが落ちていなく綺麗だという声を聞くことが増えています。

しかし、日本人からすると「ゴミだらけ」に見えるのです。


地域によっては日頃から自宅以外にも自宅周辺のゴミ拾いや落ち葉拾いをやっていて環境美化に努めている人達も多くいます。
毎朝会社周辺の清掃活動行っている企業も多くあります。


学校に通っていたときは掃除当番があり、掃除がいやだった人も多かったはずです。
しかし、その中で掃除の仕方を身体に染み込ませ、掃除をする時に何事もなくほうき握ってゴミを掃いて、ちりとりでゴミを集めて行きます。

掃除をしなさいという指示の元に、誰もが当たり前に掃除をする事が出来るとういう環境が、日本文化の良い部分なのだと思います。

掃除をしていると、その場所が綺麗になって行く事が目に見えてわかります。
すると次に掃除をする時には少しずつ今まで気が付かなかった小さなゴミが目に付くようになり、それを掃除して行きます。
そのような事を繰り返していると更に綺麗になって行きます。


共働きの世帯では自宅を頻繁に掃除をする事が少ないと思いますが、それでも自宅を綺麗に維持している人も多いはずです。このような人達は町中でのポイ捨てをする事も少なく、それぞれにあるゴミ箱へゴミを入れる人が当たり前なのでしょう。


掃除をしていると本当に細かい事に気が付かされます。
仕事をしっかりとする企業は、職場も大変綺麗で仕事もしっかりと行います。
大企業も町工場でも床は作業をする前はゴミが落ちている処は少ないはずです。
逆に、日頃からゴミが多く落ちている企業は、仕事もぞんざいなのだとそのように感じます。

仕事場のゴミが落ちている量の少ない企業は、仕事中の事故も少ないと感じます。
それだけ些細な事に気を配り、自分たちの日頃の行動でも無意識のうちに細かな事に気をつける習慣が身についているからです。


小学校から始まる掃除。
結果的に自分が世を去るまで掃除をする事になります。

自分の関わる環境を綺麗にする事で、悪い物も一緒に集めて捨ててしまおう。そのように感じる事もあります。

掃除は日本人の美徳とするとても重要な活動です。

自分達が何気なく行っている当たり前のような掃除。それを冷静に客観的に見ると記事にしたような内容にもうなずけるかと思います。


縄文時代の遺跡を見ると、しっかりとゴミ捨て場の遺跡が残っています。
その時代から日本人は掃除をしていたのかと思うと、文化というのは長きにわたる日常生活の積み重ねだという事が判ってきます。


世界中を見渡すと衛生管理という概念が全くない地域も多くあります。
掃除をする事で、衛生管理も行い病気も少なくなり、健康な身体でいる事が出来る。

お金を極力掛けずに健康を維持できる活動の一つが掃除です。


日本以外でも掃除をするという文化が世界に広がる事を望みます。


それぞれの人がそれぞれの問題や課題を持っていると思いますが、掃除から学ぶ事が出来る道義もあるはずだと強く感じました。

自らは如何に何も知らないかを知る

最近、今まで関わり合いがなかった業界の人達と知り合うようになりました。

そこで感じた事は表題の通り、自らは如何に何も知らないかを知るという事です。

人は年を重ねれば重ねる程に、色々な事を知り知識や経験を重ねています。

それで全てを知った気になってしまう事は、自らを成長させる為の向上心を止めてしまう事に成りかねません。


人によっては自らが人と比べて優れていると思い、人に対し優劣をつけようとする人も少なくありません。
そのような人は、自分の興味のある話だけかい摘んで聞いて、本質を理解せず、結果的に人の話を聞かない人になってしまいがちです。誤った理解をしてしまう事になります。


私が関わった教え子達が社会に出て働く様になり、様々な仕事上や組織上の相談を受けるようになりました。
その時に教え子がどれだけ仕事を理解しているかを知る為に、仕事の様々な話を聞くようにしています。
教え子は私に仕事の話をする事で、自分が今までやってきた仕事やその仕組みを改めて理解し、結果的に整理して行きます。

仕事の内容を詳しく丁寧に説明出来る人ほど、仕事を一生懸命に真剣にやっている事がこの事から判ります。
経験してきた様々な苦労の事も聞きます。
一生懸命に仕事をしているからこそ、悩みが生まれ課題も生まれてきます。
それを克服するのに必要な言葉を投げかけるには、時間をかけてでもじっくりと話を聞く必要があるからです。

例え失敗した事の相談を受けても、教え子の努力を認める事がとても重要であり、真っ向から教え子を否定したり頭ごなしに叱ったり怒ったりする事はありません。

考え方や手段の一つとして言葉を投げかけ、最後は自らに考えさせ冷静に行動させる道を残してあげます。
それぞれに愛情を持って接する事が重要であり、その心を教え子が感じ取ってくれると信じているからです。

最後に話をしてくれた教え子には、色々と教えてくれて有難うと言葉を投げかけています。


後日、良い流れになった事の報告を受けた時にはとても安堵すると共に、そのようなきっかけを与えて頂いた事に感謝をします。

このような事で、教え子からその業界や仕事の事を学び教わります。
知らない事が多くある事を感じる一時です。



所詮人の一生。

人一人の一生で全てを知った気になる事はとても危険な事であり、自らの向上心を殺してしまう事になる。

最悪の場合は慢心となり、全てにおいて悪影響となり結果として良い縁を結ぶ事も出来なくなってしまう。


自分は「馬鹿」であるので、興味がある事や判らない事は質問をしたり聞くようにしています。
当たり前のようですが、年を重ねて行くとプライドというものが邪魔をしてこれを出来なくさせてしまいます。


「教えて下さい」「有難うございます」

最近、よく使う言葉です。


今回の記事の事例は、会社の上司と部下の間では当たり前にある事かもしれません。
しかし、会社の上司と部下は会社での上下関係で成り立っており、最終的には上司の命令という形で服従させる事も可能です。


しかし、今回の私のように会社の上下関係もなく、教え子といっても教師と先生という関係でもありません。
私も地域への奉仕活動の一環として組織を束ねる役目を引き受けていますので、そのような中で、人と人との関係を結びつけるには、結果として対人間としてのやりとりがとても重要になってきます。

信用信頼出来る人間関係を築き上げてゆく事が出来ているかが重要になってきます。


師は様々なところに存在する事を実感する今日この頃です。

言葉

記事の投稿は久しぶりとなります。

以前と同様、思ったことを書き綴って行きますので引き続きお付き合いの程御願い致します。


日本語で普通に伝えればよい内容を、わざわざ英語等の外国語や業種による専門用語で伝える事が増えてきているようです。

企業のホームページなどを見てみるとやたらと「ソリューション」等の言葉が出てきています。
解決等と訳されいますが、企業の様々な問題を解決する事の意味で使われている事例が多くあります。

インターネットが普及するにつれ、基幹設備や仕組を構築するにあたり、情報処理設備を構築する際に用いられる業界の専門用語がそのまま用いられる事が増えてきているのがわかります。

近年はこれらに関わる業種が増えてきているので、それらの専門用語を用いるのはごく自然な流れになってしまっているものと感じます。

このような流れから、企業の国際化や業種による専門用語の氾濫により、仕事をする際に英語を始めとする横文字が多く用いられたり、それらの頭文字を取ったものを省略言葉として使う事が増えています。

日本語である言葉は日本語を用いた方が伝わり安いのですが、若い世代を中心にそれらの専門用語が日常の仕事の言葉として広く使われるようになってきました。


大都市圏に戻ってきて様々な業種の人達と話をする機会が増えてきたのですが、以前にもまして言葉に関して疑問を感じる事が増えて来ました。専門用語でその言葉や意味を理解していますので、いざその言葉を日本語にするとそれを上手に説明しづらいという点も気になるところです。


このような事を感じていた時に、昔の上司の事を思い出しました。

以前、商社に勤めていた時の事です。
その会社の他部署では外国語圏の方々と仕事をする事もあり、その部署では電話などで多国語を話をしている人も多くいました。
しかし、全く関係のない日本国内のみで仕事をしていた私の部署でも上司が私達部下に対して日本語で済む説明をわざわざ英単語を交えて説明していました。

当時の先輩は「お前、上司が言っていた単語の意味わかるか?俺は意味がわからない。日本語で話せば済むないようなのにな」とこっそりと私に話をしてきました。

意味がわからないというのは、どうして英単語を使うのか意味がわからないという事です。

当時は、英語を交えて話すのが格好いいと思われていたのかもしれませんが、重要な内容が全く伝わらなかったのは結果的にその手法は失敗に終ってしまったという事になります。

その出来事があってからかなりの年月を経ています。


今では業界用語や英単語等を使う事が一般社会の企業用語として当たり前の時代になってしまっていて、それに違和感を憶えるのは私が年を取った為でしょうか。
それとも暫くの間、天然自然と営む生活をしており、横文字よりも現地の方言を聞いていたのでそれらの事に無縁だったのかもしれません。



時代と共に使われる言葉は変化をする事もありますが、変わらず使い続けられてる言葉があります。

日本で使い続けられる言葉は、やまと言葉を発端とする古くから用いられている日本語です。

その言葉には全てに意味があり、言葉自体に言霊があります。


人は会話をする時に声を出します。その声色でその人の心理状態がわかる事もあります。

一番単純明快なのが、「喜・怒・哀・楽」です。

しかし、それらの中間にある心に見え隠れするかすかな感情を拾うには、日頃から声色や言霊に対し敏感に鍛錬をする必要があります。

私のお世話になっている師は、私の電話の第一声で私の近況と心理状態、健康か不健康かを判断してしまいます。これは師が日頃から無意識に鍛えている心眼によるものであり、人の身なりに関わりなく純粋にその人の心と接するものであると思います。

これらの心眼で人を見るにあたり、横文字では言霊を感じる事が難しいのが正直なところです。
横文字に言霊があるのかはわかりませんが、日本語には言霊があり、それがあるから偉人の言葉はその人が世を去ってからも残ると教わっています。

昔の日本人があまり会話もせずに、意思疎通が出来ていたのはそのような事が普通に出来ていたからかもしれません。それ以前のその人に対する信頼や信用というものもあるのかもしれません。


意図的に外国語を氾濫させるのはあまり感心できません。



数年前に記事にしていますが、日本の食文化を始めとする、様々な日本文化の輸出が本格的に始まっています。
少しずつではありますが、以前にも増して小さいながら日本ブームが世界的に起きているようです。

日本文化はそれぞれの現地の人達に自然に溶け込み、結果的にその現地の文化に融合され、現地の人達に違和感なく日常生活に入り込んで行きます。

文化の輸出と共に、まずはその文化に関わる言葉から日本語が広がって行くものと予想されます。
その時には「何故日本人は、日本の良い言葉をもっと大切にしないのか」という言葉を、海外の人々から投げ掛けられる時がきます。
そのような言葉を日本人に投げかける人は、自らが日本語の意味を調べ理解し、日本語の素晴らしさに感動し、それを踏まえてそのような言葉を日本人に使ってきます。

そのような言葉を投げかけられた時、日本人はとても恥ずかしい思いをしてしまいます。


日本語の言葉の良さを見直すきっかけになればと思い、今回の記事は言葉にしてみました。

秋の彼岸

久しぶりの更新となります。

秋分の日の前後3日間が秋の彼岸と呼ばれています。

3連休の初日に、墓参りに行ってきました。
お墓は有名観光地にありますので、連休もありかなり混雑していました。お墓も彼岸という事もあり、多くの人達が墓参りに来ていました。

今年は、暑すぎたのか雑草が伸びるよりも水不足で枯れてしまっており、例年に比べると草取りが楽に済みました。
日頃は海風が遡ってきて風が強いお墓なのですが、当日は風も弱くお線香の着火も簡単に終りました。

先祖には、元気で暮らしている旨を伝え、お墓を後にしました。




さて、政権交代してから少しずつ日本の本来進むべき方向に進んでいるような感じです。

今まで、世論誘導されていた世の中が、ネットの普及によりその事が直ぐにばれてしまい、正しい情報が正確に伝わる速度は著しい発展を見せています。

このブログでも記事に取り上げてきました内容が、より具体的に現実になっている事象も多くあり少し安堵しているところであります。

ネット上では特に悪い行いをしていたり、国を陥れようとする行為や言動について、直ぐに表沙汰になるような時代になって来た事は大変良い流れだと思います。


最近、気になる事があるのですが、新聞やテレビ等で政府が正式発表をしていないのにもかかわらず、さも正式に発表をしたような事をこぞって取り上げている件が増えている事です。

消費税等の税に関する事は、安倍政権はまだ公式な答えを出しておらず、10月に入ってから安倍総理の責任において決める事を事前に公表しているにも関わらず、世論誘導をしているマスコミの行動には疑問が残ります。

最近の日本全体の一連の流れを見ていますと、
 ・不正が表沙汰になる。
 ・売国奴があぶり出される。
 ・えせ愛国者の正体がばれる。

この流れは以前よりも強くこの傾向が続くと思いますので、この流れで国がよい方向へ進んで行くことを望みます。



街を歩いていると、高齢者が増えている事に気づかされます。
地方にいる時は周辺が高齢者しかおりませんでしたの気になりませんでしたが、都心部においては地方にも増して高齢者が増えており、本格的な高齢者社会が到来した事を感じます。

高齢者が増える事は、定年退職者が増え、企業の労働力が少しずつ減少して行く事にもなります。
新聞の求人広告を見ていますと、景気が良くなっている分野が頻繁に求人をしています。
しかし、自動車会社の工場などで働く期間従業員は、長期に渡る募集をしているようなので、求める人材を確保するのに苦労しているようです。

大手航空会社も客室乗務員を新卒で正社員採用する事が発表され、これからは企業同士で労働力と優秀な人材の奪い合いが始まると予想しています。


今までは、人口が増え、生産も増え、売り上げも伸びる。そのような世の中の産業構造になっていましたが、これからは少ない若い労働力で多くの高齢者を支える社会に変わって行きます。

それには少ない労働力で大規模な生産が出来る産業構造に変える必要に迫られます。

これは、製造業などだけではなく、一次産業などの農林水産関係を含め、全ての産業が当てはまる事になります。

労働力を補う為に移民を受けいれる事を推薦する人々がいますが、そもそも日本は単一民族で繁栄する為に、ユーラシア大陸から地殻変動で切り離され、今日の日本列島が生まれた歴史的経緯があります。


隣の半島の人々や国の姿勢、隣の大陸の国の姿勢を見ていると、このような民族や人々を受け入れる事は、2700年以上続いた日本文化を潰すきっかけとなってしまいます。ただでさえ、戦後のさまざまな植民地政策により日本は文化精神的に骨抜きにされてしまい、今日の日本になってしまっています。


移民を受け入れた結果、スウェーデンやオランダ等では元々暮らしていた人々と移民による衝突が起きてしまっており、国体を維持するのに大きな問題となっています。特に宗教の違いによるものは、根本的な考え方が違いますのでこれを相容れる事は、事実上不可能だと考えます。

これを反面教師に、これから更に進む人口減少に対する対策や仕組、仕方を作り上げて行く必要があります。


秋の彼岸は、日本人の先祖を尊ぶ心であります。
この文化を大切に、これからも良い日本になるように皆で築き上げて行かなくてはなりません。
先祖は、私達子孫が平和に仲良く暮らす事を望んでいるに違いないからです。








ブログ名の変更について

日頃より美国塾にお越し頂き有難う御座います。

本日より、美国塾ブログは「誠心館 美国塾」ブログと名称を変更する事にしました。

引き続き、「誠心館 美国塾」を宜しく御願い致します。

ブログの目的や趣旨は、美国塾そのままにします。


取り上げる題材は、誠心館と美国塾、双方で取り上げていた内容を一緒にする事にしました。

もう少ししましたら落ち着くと思いますので、それまで記事の更新はお待ち下さいますよう御願い致します。



お盆も無事に終りました。

私も、父方母方のそれぞれの先祖に挨拶をしてきました。

安心してまた元の仏の世界に戻っていったと思います。


今年のお盆は、本家としての先祖に対する向き合い方について様々に気づかせて頂いたお盆でした。

誠心館秋田塾のブログについて

誠心館秋田塾のブログについて

日頃より美国塾のブログにお越し頂き有難う御座います。

私が管理している兄弟ブログの「誠心館秋田塾」の今後についてのお知らせです。

管理人の移住とブログにアクセス出来なくなった事により更新を停止する事にしました。
今後は以前と同じく美国塾ブログにて、様々な題材を取り上げる予定であります。

管理人の移住に伴い、落ち着くまでの間は更新間隔が延びる事も御座います。
お越し頂いたのにもかかわらず誠に申し訳御座いません。




管理人は自然と共存する生活を実現する為に秋田県に移住していました。

私のような基盤を全く持たない者が地方に飛び込んで行って本格的な農業に参入するには、全く配慮していないのが今の農業政策であり仕組みであります。
結果的に制度仕組みに乗っかる事が出来なくなってしまったので、新規就農を断念せざる得ない事になりました。

偉そうな事を散々このブログに記事として書いてきましたが、結果的にこのように現実に打ちのめされました。

基盤というのは、家と土地です。

代々その家業や土地を受け継ぐ事で成り立ってきたのが今までの農業です。
それを基本として政策や制度、仕組が成り立っていますので、よそ者がその制度に乗っかるには様々な準備が必要であり、とても時間がかかります。

その地域によってしっかりとした受入体制が出来ている場所であれば問題はないと思いますが、私の行った地域は受入体制が出来ていると思って移住しましたが、実際は全く出来ておらず自らが手探りの状態で全てを進めていました。

これが現実でした。


私のような他の場所に住んでいる人が過疎地方に入っていって、実績を出すことによって同じような人を増やすのを目的としていました。

若い世代が入ってくればその地域は再び活性化させる事が出来ます。

実際に感じたのは、時期早々。
まだ私のような考えをもつ人が入るには制度や仕組が追いついていなかったのです。


文明開化前のように「志」だけで食べて行ける時代ではなくなってしまったのです。

しかし、今でも私を支えているのは「志」です。

残念ながら、地方から大都市圏に戻ってきました。大都市圏から地方の為に出来る事も多くあると思います。
地方を活性化させるには、地方に直接外貨をもたらす必要があります。一時的なものでなく継続的なものです。
これからそのような活動が出来るように今は準備を進めている処です。

秋田に行った事によって、第二の故郷が生まれました。
遠く離れていても、懐かしい仲間や友も多く出来ました。

これが、私が秋田にいって築いて来た宝であり財産であると思います。

今すぐに、地方の為に何か出来るという事は難しいかもしれません。

しかし、それが出来るように仕組みを作るのが私の役目の一つだと思っております。
これが私の「志」の一つであります。


少しの間、記事の更新間隔があいてしまいますが、落ち着きましたら少しずつ更新を再開したいと思います。

それまでお待ち下さいますよう御願い申し上げます。



美国塾、誠心館秋田塾 管理人より