台湾の過去

先日、台湾へ出張に行ってきました。

日本が台湾へ上陸してから50年の間、日本と同じように国造りが行われ、治安の良い平和な時代が続きました。

日本が台湾を統治していた時代は軍人は信頼信用の塊で、警官と共に優しく尊敬される存在でした。それほど、日本の人達は地域社会へ溶け込んでいたのです。

他の国々はその国を占拠すると、占拠された国の国民を奴隷のように扱ってしまいます。
しかし、日本は当時の人達の生活レベルや学力を向上させるために多額の予算を組み、
インフラを整備し、鉄道や道路、学校等を建設して来ました。
統治当初の小学校の通学率は1割程でしたが、昭和初期には9割を超えており、子供達はしっかりとした教育をされておりました。
しかも、現在の日本の小学校の教育内容よりも大変素晴らしいものです。

当時、先生と呼ばれている人は、生徒から尊敬されており、優しく愛情のある教育を行っておりましたので、沢山の良い人材を輩出しておりました。

戦争とは悲惨なもので、米国のB29が大変へも無差別に爆撃を仕掛けてきています。
やがて戦争が終わり、以前お話をしましたが、蒋介石率いる軍隊が台湾へ亡命してきて、
台湾を占拠してしまいました。

当時の台湾の人々の生活文化のほど遠く低い人達が、台湾へ来てしまったのです。

大変、優秀な台湾の人々が簡単に蒋介石率いる軍隊の言うことを聞くわけがありませんでした。
やがて、日本語の使用を禁止し、何かにつけては反国民とされ、拉致されたり銃殺されたりしてしまいました。
結局、終戦後、蒋介石率いる軍隊に3万人以上の台湾人の人々が殺されてしまったのです。

二・二八事件はそのような最中に台湾人の怒りの矛先として起きてしまっています。

やがて、蒋介石は武力で国民の権利や自由を押さえつけてしまい、
蒋介石が亡くなるまで、一般の人々は様々な生活活動を制限されておりました。

やがて、李登輝氏が首相となりこれまで制限をされていた様々な事を解放し、本来の人間らしい生活文化に戻したのでした。

李登輝氏は日本の大学を卒業した唯一の海外での首相です。
自分は日本人であったと堂々と胸を張って言っておりました。

現在では世界でも有数の国民総生産をあげているのは、当時の李登輝政権の施策と、かつての日本人だった時代の人々の努力があったからにほかなりません。

数年前、治療をするために既に一般人である李登輝氏のVISAを日本は発行するのを拒否してしまいました。
それは、隣国中国のご機嫌を損ねる為です。

今の日本の政治家は心底腐っていってしまっており、日本の方向性や強いリーダーシップを発揮出来る人は、残念ながらおらず、むしろ一般の人にそのような強い求心力を持っている人が存在しております。
今の政治家は何度も言いますが、李登輝氏を見習わなくてはなりません。

台湾の教育は、つい先日まで嘘偽りの歴史を教えてきました。
しかし、最近になり日本と同様に真実の歴史教育を行う事で、腐敗してきた人心を元に戻そうという動きが出てきています。

また、その偽りの歴史と象徴として建設された中正記念堂の展示物が変わり、蒋介石の巨大な像も撤去されてしまっています。

忠烈祀と呼ばれている所がありますが、これは大陸から渡ってきた外省人で功績のある人達が葬られている所です。
本来であれば国賊の墓でありますので、いずれこれも小規模となり名物の衛兵交代も見る事が出来なくなる事でしょう。
現にこの場所には一般の台湾人が殆ど来る事がなく、衛兵交代目当ての海外からの観光客しか来る事がありません。

ここ2年位で台湾は大きな変化をしてきました。
今でも日本語の話が出来る年配の方々が多くおりますが、いずれそのような方々も少なくなって来るでしょう。
それまでに、戦前の多くの日本人の心である大和心を台湾の人々から日本人は逆に学ぶ時が来ています。

これまで以上に、両国の文化交流が活発になり、良い国造りをしてゆかなくてはなりません。



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この記事へのコメント

さくら
2007年08月02日 11:55
今台湾に住んでいます。
無学な自分が情けないのですが
実際に住むようになって始めて
台湾の事も、また日本のことも
よく見えるようになってきました。

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